【短編集】時空郵便
次の瞬間。
「……ありがとうございます」
小さい声が微かに耳元で聞こえて、オレの視界の右端から、黒い何かが落下していった。
「……は?」
右手首がやけにジンジンした。
オレは視界を横切った何かを確認しようと首を右に向けていく。
オレを支えていた青年の姿はそこにない。
屋上には誰もいない。
じゃあ、さっきのヒーローは?
いなかった?幻想?あれらは恐怖から来るオレの妄想でまだ飛び降りてなどいなかった?
「違うよ」まるでそう返答したかのように、遥か下方から何か重たいものが地面に落下し叩きつけられて潰れる音が聞こえた。
「おい、嘘だろ……?」
手すりを持つ手は小刻みに震えていた。
オレはゆっくりとゆっくりと、その不快な音がした場所を探り見つけた。
ビルの屋上から見ても分かる黒い血だまり、身体が力なく横たわっているのが確認できるのに、どうしてだか頭部は確認できない。
つまり、頭部は砕かれその原型を留めていないことがうかがい知れた。
「あっ……あっ、あぁぁぁあっ」
オレは手すりを持ったままで数十センチしかない足場に砕けるように座り込んだ。
「殺した。オレが彼を……」
救急車を。
いや、そんなことしたら殺意はなくてもオレは殺人になるんじゃないのか?
だったら、オレも飛び降りる?
「……無理だ」
あの恐怖をもう一度味わいながら、その果てがあんな無惨な塊になるとわかって飛び込むなんてできるわけがない。
じゃあ、どうしたら良い?
逃走するか?普通の毎日へ。
嫌気がさしていたありきたりな生活へ逆戻り?
じゃあなんのために彼は死ななければならなかったんだ?
「ありがとうございます」
あれは何に対してだったのだろう?
オレが生きようとしたこと?
自分が人の命を救うという大偉業を成し遂げることができたこと?
いや、そもそも彼はなんでこんな場所にいたんだ?
「この時間にこんな場所に来る理由……
そんなの」
1つしかないじゃねぇか。
オレと同じ理由。
「おえ。はぁ、はぁ」
オレは震える手足でゆっくりと、立ち上がり、その手すりを越えた。
辺りを見渡すがあるのは脱ぎ捨てたオレの靴と、最期に残すはずだった手紙だけ。
彼のものはない。
「もし、遺書があるのなら彼は持ったまま?」
オレはすぐに非常階段を降りていく?
もし、彼も自らの命を投げ出したくてここへやってきたというのなら彼の死を完遂させなければならないと思った。
非常階段を降りた先は、死体がある場所の東側、この壁沿いに歩き左を向いたらそこには彼が。
彼の亡骸が転がっている。