影を往く者、闇に逝く者-戦国隠密伝-
そんな伊賀忍者の頭領格である服部半蔵が、なぜ徳川家の家臣となったのか。

それは正成の父である服部保長の代で家康の生地である三河国に渡り、家康の祖父である松平清康に仕えるようになったからなのだ。

つまり、服部正成自身は伊賀で生まれ育ってはいない。

隠密になる為には幼少期からの修行が不可欠だが、伊賀から三河に移り住んだ事で服部正成自身は忍者としての修行を受ける機会は無かったと考えられている。

服部正成が得意としたのは槍で、同じく「半蔵」の名を持つ同僚の渡辺半蔵守綱と合わせて「鬼半蔵」「槍半蔵」と呼ばれる猛将であったと言われている。

そして、忍者としての「服部半蔵」の印象に最も寄与したと考えられているのが家康三大危機に数えられる「伊賀越え」。

この伊賀越えは、叛旗を翻した明智光秀によって織田信長が本能寺で討ち取られた「本能寺の変」に端を発する。

信長を討ち取った光秀は、家康、秀吉などの有力武将を討ち天下を取る準備に入っていた。

堺から京都に向かっていた家康は、本能寺の変を知り一刻も早く自国へ帰らなくてはならなくなった。

この時、家康が連れていた家臣はわずか三十人程度。

家康達は明智勢の追っ手と、褒賞目当ての地元の土豪たちの襲撃に遭わぬように帰途を急ぐという離れ業をしなければならなかったのだ。

この時、家康を助けたのが「服部半蔵」だった。





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