窓越しのエマ
おばさんは僕に一瞥もくれず、鼻歌を歌いながら通り過ぎていった。

おばさんの鼻歌は、どこかで聴いたことのあるメロディーだった。

何の曲なのかを思い出そうとするが、なかなか答えが出てこない。

のどまで出掛かっているのに思い出せず、僕は余計に苛々してきた。


今はそんなことを気にしている場合じゃないというのに、鼻歌のメロディーが頭にまとわりついて離れなかった。

僕は一度気にしだすと、そのことで頭が一杯になるタイプだった。

僕は無理やり他のことを考えるように努めた。


思い出せそうで思い出せない状態になることをナントカ現象といったはずだ。

しかしそのナントカが思い出せず、今度はそっちが気になって仕方なくなった。僕は発狂しそうになった。


「もういい……もう沢山だ!」


立ち止まった僕をエマが振り返る。


「勝手にすればいい。エマ一人でどこでも好きなところに行けばいいじゃないか」


エマはしばらくきょとんと突っ立っていたが、やがて僕のほうにゆっくりと近づいてきた。


「僕は海岸に戻るよ。エマがついて来なくたって僕一人で戻るからな」


エマは膝がぶつかるほど間近に立って、上目遣いに僕をにらみつけた。


「いつからそんな弱虫になったの?」


エマが冷たく言い放つ。

まるで母親が子供をしかりつけるような口調だった。


エマの射通すような視線に思わず身がすくんでしまい、僕はなにも言い返せなかった。

僕はこの目に見覚えがある。

凍りつくような、それでいて熱のこもった真っすぐな眼差しを、遠い昔にどこかで見た記憶がある。


「男の子でしょ」と言って、エマが僕の手首をつかむ。


エマに引きずられるようにして坂を上りながら、僕はもうほとんどあきらめていた。

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