恋する旅のその先に
カルキの匂いが鼻をかすめると、唐突に思い出す“夜”がある。
夏の日の深夜。
その日はいやに寝苦しくて、何の気なしに俺は車を走らせた。
特に行きたい場所もなく、ただひっそりとした所を求めて。
やがて辿り着いたのはかつて通った小学校。
すべての灯りは落とされ、国道の脇にあるにもかかわらずそこだけ世界から切り離されたような、奇妙な静けさに満たされていた。
しばらく車中で冷房にあたっていたものの、エンジン音すらわずらわしくなってそれを止めた俺。
当然、次第に車内は外気と肌を擦り合わせて温度を上げていく。
窓を開ければいかばかりかの風が入りはするだろうが、その“オマケ”で人類共通の厄介者まで入ってきてしまう。
つまりは“蚊”。
だがしかし、おとなしくそいつに血を分け与えてやれるほど高血圧じゃない。
なら、と車を降りて向かった場所はそう──プール。
昔はよじ登るくらいの高さだったフェンスも、いつの間にかひと呼吸で乗り越えられるようになっていて。
それがまたなんともいえない感慨を胸に込み上げさせる。
一応の礼儀として裸足で降り立つと、ひんやりとしたコンクリートがすっ、と足裏から背中に伝わった。
隙間だらけのフェンスに囲われ、閉じ込められているのは、鼻の奥を湿らせるようなあの独特なカルキの匂い。
それはやがて眉間を刺激し、おもむろに涙を誘う。
風は凪ぎ、立って歩けそうなほど艶やかに、かつ整然と静まり返る水面。
吸い込まれそうな闇色のそれは、昂りそうになっていたこころを不思議と落ち着かせた。
感傷的な空気を吸い込んだせいか、それともこころが水面をなぞらったからか、それはわからない。
その代わりに、
「なんだ、新月か……」
月が留守にしていることを少し、残念に思った。