恋する旅のその先に
数コールしてようやく切れた電話に、こめかみ辺りがむずかゆくなる。
イタズラにしてはやけに長いし、非通知でもない。
いわゆる“ワン切り”でもなかった。
かといってアドレスに登録している知り合いなら名前が表示されるはず。
さらにいえば俺の番号を知っている人間は、俺が登録している人間以外に──
「まさか……」
ふと、思い当たる。
いや、まさか今更そんなはずが。
でも……。
俺は着信履歴からそのナンバーを呼び出した。
確かに見覚えは、ない。
俺の知らないナンバーだ。
けれど“この時間帯”にかけてくる人間に、ひとりだけ心当たりがあった。
おそるおそる、通話ボタンを押し、かける。
3コールを数える前に、それは取られた。
『……もしもし?』
「……もしもし」
予想通りだった。
『誰か、わかる?』
おずおずとした問いかけ。
わからないはずがない。
それはかつてむさぼるようにして聞き入った甘やかな声。
少女と女性の中間を思わせる独特な響きと口調。
飛び込み台に腰かけながら俺は逸(はや)る鼓動を悟られないよう細心の注意を払い、
「久しぶり」
そう熱くも冷たくもない声音でその問いに答えた。
「番号、変わったんだ?」
「急にどうした?」という疑問をあえて口にしない。
それがこの場でのエチケットのように感じた。
すると彼女は少しだけ緊張がほぐれたのか、トーンを半音上げ、
『うん。今、なにしてるの?』
時間の経過を感じさせない会話。
まるで、昼間顔を合わせたばかりのような至極ニュートラルな空気。
「実は今、小学校のプール」
『えぇ!? もぅ、なにしてるのよぅ』
「あっはは。いや、寝苦しくて散歩がてら、ね」
実際には、最後に彼女の顔を見てから早1年は経とうとしていたのだけれど。