恋する旅のその先に
あの日以来、その彼女からの電話はない。
結局、あの後そのまま結婚したのか、そうしなかったのかはわからず終い。
けれどもきっと彼女は、自分にとって1番後悔のない道を選んだのだと。
そう思うし、そうであって欲しい。
2度と交わらないであろう俺たちの道。
けれど確かに重なり合った時期があって、それがあったからこそ、今の俺がいる。
あの日、“やさしいだけ”の自分があったから、“やさしいだけじゃない”今の自分がある。
それでいいんだと思う。
確かに大切だったその時間を、わざわざ嫌悪したり汚してしまう必要なんてない。
多少は記憶を美化しているところはあるだろうけれど、それで自分の歩いた過去が輝くのなら、悪くはないじゃないか。
哀しいだけの傷だなんて思わずにいこう。
人生の教訓だなんて気張らずにいこう。
照れ笑いをしながら、不恰好な勲章くらいに思っていこう。
カルキの匂いが鼻をかすめると、唐突に思い出す“夜”がある。
ある夏の日の深夜。
全てが静まりかえっていて。
けれど何かが動いていて。
そして互いに手を振った夜。
次第に記憶は薄れていくにも係わらず、それに反比例するようにして匂いだけが鮮明になっていく、夜。
そしてそれはいつの頃からか口の端を刺激し、おもむろに微笑みを誘うようになっていった。