実体験記 風花(かざはな)



不意に肩を抱き寄せ、
引き寄せられた。

…その手は僅かに震えている様に思えた。


そんな風に
抱きしめられたのは、

生まれて初めての事だったと思う。


私が

「…度胸が売りのヤクザ屋さんなのに…

寒いの?」

と、聞くと


「いや、緊張して…

お前、

あったけぇ~な。」


抱きしめる腕がより一層力強く感じられた。


今でも…
印象に残る思い出のワンシーンは、

心切なく、

蘇ってしまう。


私は気がつかなかった。


いや、

気づいていたのかもしれない。


彼のこれから来る出来事や哀しみに…



それから、

2人寄り添い手を繋ぎ、
もう直ぐ明かりも落ちて寝静まろうとする
繁華街の中を歩いた。


段々と開いている店が疎らになると、

2人の口数も減り

ただ、

俯いて歩いた
冬の夜のしんしんとした時の中を…。


やがて、

ラブホテルの前に差し掛かった時、

彼が私の顔を覗き込みながらも
少し真面目な影のある瞳で微笑んだから、

私は少し照れながら微笑みながら頷くと、

強く手を引かれホテルに入った。


古びたホテルの入口で手早く部屋を取り、

狭いエレベーターで
上がる時には、

彼は私と視線を合わさずに
何かを決意したかの様な横顔をしていた。


私は少しだけ、
緊張していた。


重たいドアを開けて
部屋に入ると、

其処は狭い部屋に似合わない位に
大きなベッドと、

小さいが窓側に
2脚の椅子と
小さなテーブルがあり、

厚手のカーテンの下からは
街頭の灯りがうっすらと差し込んでいた。



< 8 / 13 >

この作品をシェア

pagetop