白桜~伝説の名刀と恋の物語~【完】
高村仁左衛門常篤
この諏訪頼重と福田屋が藩政を牛耳っていた松代藩のはずれに、ひとつの小さな村があった。
この村の庄屋はその名を武田仁左衛門常篤といい、その仁政は藩内にも聞こえていた。
庄屋とは、現在でいうところの村長のようなものであった。村の治安を守り、村の財政を管理し、藩には年貢を納める、いわば藩主と村民をつなぐ役割を担ったのが、この庄屋であった。
彼は現在、本来の姓である武田の姓は名乗らず、『高村』という姓を用いていた。よって現在は高村仁左衛門常篤と呼ばれていた。武田という姓を捨て、高村を名乗るまでには、さまざまな経緯があるのだが、もともとそのような家名云々を気にするような性質(たち)ではなかったので、常篤自身そのようなことは特に意に介さないようであった。
この村の庄屋はその名を武田仁左衛門常篤といい、その仁政は藩内にも聞こえていた。
庄屋とは、現在でいうところの村長のようなものであった。村の治安を守り、村の財政を管理し、藩には年貢を納める、いわば藩主と村民をつなぐ役割を担ったのが、この庄屋であった。
彼は現在、本来の姓である武田の姓は名乗らず、『高村』という姓を用いていた。よって現在は高村仁左衛門常篤と呼ばれていた。武田という姓を捨て、高村を名乗るまでには、さまざまな経緯があるのだが、もともとそのような家名云々を気にするような性質(たち)ではなかったので、常篤自身そのようなことは特に意に介さないようであった。