ゆうこ
 

 薄暗い部屋から、縁側の向こうの小庭に植えられた向日葵(ひまわり)が三本見えている。 優子が幼稚園に入った年に、一番背の高いのが父、二番目が母、そして小さいのが優子だと言いながら、耕三が植えたものだった。 その黄が、降り出した激しい雨の中で色褪(あ)せて見えている。 繁茂(はんも)した雑草の草熱(くさいきれ)が、降る雨で部屋に籠もっていた。
 
 薄暗い部屋に入ってきた優子の目に、その三本の向日葵が真っ先に飛び込んできた。 雨の庭は鴨居や柱に区切られ、部屋の中から見ると額縁の中の安物の絵を見るようだった。 仄暗(ほのぐら)い部屋の真ん中に、母の顔の上の白い布が茫と浮かんでいた。
 
 「お母さんはね、事故で死んじゃったのよ」
 伯母は、唇を震わせながら優子の耳元で押し殺した声で言うと、その白布を取った。 眼窩(がんか)と頬が落ち窪んで、優子の知らない老婆のように見えた。 優子には、それが母とは思えなかった。 優子の胸に悲しみは迫らず、恐怖心があった。 逃げ出せばその恐怖は何処までも追っかけてくるが、じっと我慢していれば自分の傍を通り過ぎて行くような気がした。 恐怖の中でも、優子の指先は自然に母の頬に触れていた。 
 
 未だ硬直が及んでいないその頬は、柔らかく優子の指に沈んだ。 しかし奥深い処を席捲(せっけん)している死は、既にその柔らかさに浸透して、優子の指に湿った冷たさを伝えた。 工作の時間に作った粘土細工みたいだと思いながら、優子は今度は掌(てのひら)でその頬を触り続けた。 すると老婆の顔は徐々に母の顔になって、そうすると急に悲しみが込み上げてきて、優子の目に涙が溢れた。
 
 しかし優子はよく判らなかった、この間まで自分を抱きしめ、話し、笑っていた母が今はもう動かず、これからもずっと動かないのだろうと云うことが、よく呑み込めなかった。 その体を触り続けたら、又母は起きあがって、優子ちゃん、ありがとう、と言ってくれそうな気がして、優子は何時までもその頬を触り続けた。 それでも母は動かなかった。 やっぱりお母さんは死んだんだ、と思うと又涙が溢れた。
 
 
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