ゆうこ
 「そうか、若いのにエライねえ。 うちの娘にもレイコちゃんの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいよ。 毎晩毎晩ほっつき歩いて、滅多に家にも帰ってこやしない」
 郷田は、別に気にしていないような口調で言った。
 お父さんはどうなんだろう、会社が上手く行ってた時は、矢張り私みたいな若い娘とこんな風に飲みに行ったり、その子の体を触ったりしたんだろうかと思った。 そんな父を、優子は想像できなかった。
 
 「じゃあ、もう一杯だけ飲んで帰りましょうか? お嬢さん」 
 と郷田は巫山戯(ふざけ)た口調で優子を横目に見ると、
 「最後の水割りとジンジャーエルね」
 とバーテンに言った。
 優子はほっとし、やっぱり明日おばさんに会いに行こうと思った。 そう思うと、何だか母の処へ帰るみたいに安心した気持ちになった。 ラウンジに勤め始めてから、ずっと会っていなかった。 毎日のように今井のことを考えたが、父親の失踪(しっそう)以来、身の回りに次々と起こることで精一杯だった。 帰りにでも寄ってみたいと云う気持ちに駆られたが、もう眠ってるだろうなと思い直した。 あの絵は、もう描きあがっただろうか。
 ジンジャーエルの白い泡が、琥珀色(こはくいろ)の液体の中でゆっくりと立ちのぼっていた。 

 


      




      *
 どこか遠くで電話が鳴っている。 未だ眠っていたいのに、隣の家だろうか。 混濁(こんだく)した意識の中で、早く取って呉れればいいのにと優子は思う。 そう思いながら、又一瞬眠りに引き込まれ、そして少し意識が戻る。 遠くで鳴っていると思ったのが今度は近くなり、そして枕元で鳴っていた。 未だ覚めやらぬまま、優子は手を伸ばした。
 「お客さん、チェックアウトの時間なんだけど、延長すんの?」
 中年の女性の声が、物憂気(ものうげ)に言った。 
 とっさに意味が掴めなかった。 虚ろな目に、粗末なサイドテーブルと使い古され薄くなった白いシーツが映った。 頭の奥の方に疼(うず)くような痛みがあって、頭皮が痺(しび)れているような感覚がある。 全体がだるく、ベッドに沈み込むような疲労感が、体の芯にあった。
 「あ、すいません、もう少し・・・」

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