ゆうこ
 優子は、混乱した頭でかろうじてそう答えた。 声が掠(かす)れていた。 無言のまま、電話は切れた。 光に照らされた紗幕(しゃまく)を見るように、徐々に意識が戻ってくる。 素裸だった。 衣服はベッドの片隅に、惨めに打ち捨てられた襤褸(ぼろ)のようにあった。 
 
 徐々に戻ってきた意識に、重く塞がって行く瞼の裏、歪(ゆが)んでいるグラスの中のジンジャーエルが甦(よみがえ)った。 大丈夫かい?と顔を寄せてくる郷田の吐く、生暖かく臭い息の記憶があった。 そのずっと遙か遠く、白いシーツと、覆い被さってくる郷田の充血した眼と濡れて歪(ゆが)んだ唇の記憶が微かにあった、 そしてトイレから戻ったとき、バーテンと話していた郷田の姿がはっきりと甦った。下半身が、白く汚れていた。
 
 ベッドに上半身を起こし素裸のまま両足を抱え込んで、優子は泣いた。 どうしようもなく惨めで悲しく、そして空しかった。 郷田は、あんな人間は、優子にとってどうでも良かった。 郷田を憎む気持ちを持つことさえ、忌まわしかった。 憎むことは執着(しゅうちゃく)することだ、今度会うときがあったら、道端の石ころのように郷田を無視出来たらどんなに良いだろう。 尊敬も親しみも感じられない、感じるものがあるとしたら軽蔑しかないような、そんな人間とかかずらわってしまい、しかもそんな人間に生まれて初めて自分の体に触れられてしまったことが、惨めで情けなくて悲しくて、そして空しかった。
 
 優子はバスルームに駆け込むと、白い肌が赤く染まるほど狂ったように幾度となく体を洗い、浴槽に湯を溢れさせたまま、今自分の中にあるものを全て湯の中に溶かし出し流し去ろうとするかのように湯船に浸かり続けた。 湯船の中で膝を抱き、おばさんに会いたい、只会って傍にいたいと涙が流れた。 湯は、止めどなく浴槽から溢れ続けた。
 
 


 


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