ゆうこ


 ホテルを出ると、優子はまっすぐ公園へ向かった。 今井に昨晩のことを話すつもりはなかったが、温かさに触れていたい、そうしたら昨晩以前の自分に戻れるような気がした。
 「どうしてたんだい? 長い間見なかったね。 心配してたんだよ」
 今井の笑顔が浮かんだ。 話さなくても、何だかおばさんには判ってしまうような気がした。 そしたら、きっと我慢できなくなって、胸に飛び込んで泣いてしまうだろうと、優子は思った。 
 そうしたかったが、あんなことくらいでおばさんを暗い気持ちにさせるのはイヤな気がした。 あんなことくらい、そう、交通事故なんだ、質(たち)の悪いドライバーに当て逃げされたと思えばいい。 自分は深く傷付いたけれど、起こったこと自体は、当て逃げと同じように、毎日のように起こっていることなんだ。 もう、あのことを考えるのは止そう、あのことを考えることは、郷田を思い出すことだ。それが優子には耐えられなかった。 
  
         






     *
 もう新緑の季節が来ていた。 陽光が若葉を透かし、優子の行く歩道を緑に染めていた。 昼下がりの街は明るい光に満ち、優子は顔を伏せたまま急ぎ足に歩いた。 多くの人々が街を行き交っていたが、優子は自分がこの人達とは全く違う世界に生きていると感じた。 この人達も、継母も、店のママも、同僚のホステス達も、学校の友達も、そして郷田もみんな、おばさんが読んで聞かせてくれた小説の言葉のように、お互いに欺き合っているのに何の傷も付かず、欺き合っていることにも気が付いていないのか、判っていても気にしていない人達だと思った。 まるで欺き合うことが当然で、そう割り切った上に友情や愛情を築くことが成長することで、大人になることだと考えているようだった。 優子は、そんな芸当は出来ないと思った 
 
 公園に今井はいなかった。 他の浮浪者達も、何処かへ日雇い仕事に出ているのか姿が見えなかった。 ブランコに座って待ったが、夕闇が迫る頃になっても誰も帰ってこなかった。 店に出るのはイヤだったが、今日は給料日だった。 頑張ってたらいいことあるよ、と今井の声が聞こえたような気がした。 優子は公園を後にして、ネオンが灯る街の方へと歩き出した。

< 33 / 53 >

この作品をシェア

pagetop