ゆうこ
 
 当時、歓楽街でゆうこに似た着飾った人を見たとか、家族旅行で行ったお寺にゆうこに似た尼さんがいたとか、時々学校の前を通る浮浪者がゆうこに似ているとか、友達の間で噂になった。 ゆうこのことを詳しく知らない友達がそう言ったのだから、私には全部ゆうこかも知れないと思えた。 夜の街をゆうこを求めて彷徨(さまよ)ったり、友達が行ったというお寺にも行き、学校の行き帰りにすれ違うホームレスの人に注意したり、ゆうこの言っていた公園にも度々足を運んだが、結局全てが無駄だった。 ミドリたちが、どっかで死んじゃうか殺されちゃってんじゃない、と面白おかしく言ったけれど、それを聞いてどきりとしたこともあった。 
 
 ゆうこが抱えていた苦しみは、結局私に話しても癒えず、恐らく誰とも分かち合えないほど深いものだったに違いない。 私たちが出会った日、図書室でゆうこがぽつりと言った「意味」とは生きる意味だったのだ。 そして自殺を図って生き延びても尚、生きる意味がゆうこには見いだせなかったのかも知れない。 「死なないで」と言った私にウンと小さく答えたゆうこが浮かんで、涙が流れたりもした。
 
 ゆうこは一体私の何だったのだろう。 一期一会(いちごいちえ)と云う言葉を、後になって知った。 私にとってゆうことの出会いは、その一期一会だったと思う。 私の人生はこれからも続いて行くのだろうけれど、長い人生からすれば一瞬とも云える彼女との出会いは、深く私の心に焼き付いて、彼女の言葉や仕草や表情が浮かんできて、はっきりと声まで聞こえるように思うときがある。 そうすると私はもう誰とも話すのがイヤになり、部屋に閉じこもってゆうことゆうこの生きた人生を考えている。 
 ゆうこに出会わなかったら、私はミドリやケイコや廻りの友達に多少の違和感を感じながらも、そのまま普通の中学生活を送り普通に育っていっただろうと思う。 
 ゆうこは、ひょっとして時の移ろいと共に私が失ってゆく、もう一人の私だったのかも知れない。 いや、私だけでなく誰もが気付かずに捨て去ってゆく、もう一人の自分たちだったのだ。 
 

< 52 / 53 >

この作品をシェア

pagetop