きみと、もう一度
帰宅すると、今日は塾がある、というのを母に知らされた。
高校受験でお世話になった塾には、今後も通っていたのを覚えている。でもまさか受験が終わったあとも勉強しに行っていたことは忘れていた。
母が駅まで送るというので、渋い顔をして見せると「高校で勉強についていけなくて知らないわよ!」と怒られてしまった。
こんな気分で勉強したって頭に入ってくるとは思えないけれど、母を怒らせると大変なことになるから、大人しく私服に着替えて車に乗り込む。
中学時代に持っていた服が今のわたしにはどれもダサく見えたけれど、それは仕方ない。
駅について「気をつけて帰って来なさいよ」と声をかけた母はわたしを置いて去っていく。ポケットからピタパの入った定期入れを取り出して、改札に向かった。
近鉄難波行きの普通か準急を待って乗り込むと一駅。少し田舎になった小さな駅の改札を出てパチンコ店やカラオケボックスを通りすぎて塾を目指す。
富雄川沿いの道路に、小さな白いビルがある。
隣には全国チェーン店のレンタルビデオ屋。授業中はそこから流行りの音楽がよく聞こえてくるのだ。
一階はクリーニング店になっていて、その脇の階段を登っていく。
二階の直ぐ側の部屋が先生たちの事務所だった。ひゅーひゅーとどこかから隙間風が入っているらしく、うるさい。
「こんにちはー」
ぎいっと立て付けの悪いドアを開けると、塾長のおばさんと、英語の先生をしているこれまたおばさん。そして大学生らしい男の人と女の人が同時に顔を上げた。
「こんにちはー。今日は受験前日だから、開いてる部屋で個人授業よ」
「ええー……」
そんな授業なら休みにしてくれればいいのに。
この塾で中学三年生は一〇人ほど。そのうち公立志望が八人。わたしみたいに進路が決まった生徒は授業に邪魔らしい。恐らくもう一人の私立進学組の男の子がいたはずだけれど、今日は来ていないらしい。
黒縁メガネをあけたインテリ風の男の先生が「おれ空いてますよ」と名乗りを上げた。
暇つぶしに授業をされるようだ。この先生の科目は確か、数学だったはず。
隣の一番小さな部屋に案内されて、先生は早速高校で教えられるだろう授業を始めた。誰も使っていなかったのか、暖房の効いていない冷たい部屋の冷たい椅子に腰を下ろす。一番後ろに座りたいけれど、マンツーマンでは嫌がらせになるので、前から二列目を選んだ。
この先生は確か、大学二回生だったはず。わたしの中身と同い年だ。この先生には、あの時に戻りたいだとか、消したい過去だとか、後悔は持っているのだろうか。