姓は寿限、名は無一郎
 寝床に入って、しばらく身の処し方などを思い、やがて糸の切れた凧のような今後を、どう生きるべきかと、目が冴えてしまうほど考え始めた。


 漁師が仕掛けた罠の在処を忘れたようなものだ。
 その罠に掛かるとしたら、こんな愚は無い。
 だから、何が確かな生きる信条たりえるか心を定めて、
 それに従って起き伏し、明け暮らして、それで地獄に堕ちるなら、
 それはそれで受け容れられる、納得できるというような何か…
 人は、それが無ければ、ボロ同然だ。
 ボロは、ボロとして快く生きようと足掻くが、所詮、
 ボロの顛末だ、高が知れている。
 それでは死んでも死にきれないし、第一…
 生まれた…そして生きる甲斐が無いではないか。
 世の中の役に立って、そうすることで我が『真価』が明かされる。
 その世の中が問題ではあるが…出来るなら、
 より良い方に向かって早く辿り着く…そちらの側に身を置きたい。
 私が誰であるかという小事に思い惑うくらいなら、
 いつの世に在っても、その場、その場で
 求められている『役』こそが私という人の全てなのだ。
 もう何も考えるな、考えられるが良い、今を生き続けるのだ。


 翌朝は、見事に晴れた。長屋の表店である一休で蕎麦を食って、外に出ると、行く手の上空に虹が出ていた。笑顔が浮かんだ。大家からの紹介状を持って、さっそく口入れ屋を尋ねる気になった。
「あれを振ってくださいまし」主人は、店の片隅に立てかけてある竹刀を一瞥してから視線を戻さず、ぶっきらぼうに無一郎へ告げた。
「…」言われるままに、それを手に取って、上段に構えてから面、小手、胴と幻を切って、最後に、とどめとばかり喉元と思しき辺りを突いた。
「これは、これは…この界隈の道場には適う相手も御座いません」そのような評価を受けたとて半信半疑の無一郎だった。

「支度金は、とりあえずの御利用ということで5両、仕事口が入りましたら早速に行ってもらいますので」
「わかりました申した、長屋か、長湯か、どちらかに」と、金子を受け取って、来る途中に見掛けた古着屋で、ゆったりした着物を買うつもりだった。




< 7 / 16 >

この作品をシェア

pagetop