僕らの背骨
誠二はタクシーに乗ると運転手に先程の紙切れを見せた。
言うまでもなくその運転手は訝しげな視線を誠二に向け、誠二自身はまた哀れみながらその運転手から視線を逸らした。
「…もしかして耳聞こえない?」
運転手は車を発進させてすぐ誠二にそう聞いた。
運転手がこちらを向き何かを喋ったという事は誠二にしっかりと伝わったが、敢えて誠二はそれを無視し、外の景色を眺めていた。
すると運転手はまた何かを呟きながら誠二に顔を向けたが、我関せずの誠二の表情を見て、諦めたように黙った。
しばらくすると目的地ではない場所でタクシーが急に道の路肩で停車した。
そして運転手は誠二の顔の前で手を振り、何かを伝えようとした。
車内の照明が点いてなかった為、誠二はその運転手の唇の動きが読めず、慌ててメモを取り出した。
−照明を点けて下さい。
唇の動きで理解出来ます。−
そのメモを読んだ運転手は直ぐさま車内の照明を点けると、ゆっくり誠二にこう告げた。
"お金ちゃんと払えんの?"
誠二ははっきりとその侮辱を理解し、理解の先にある怒りを表情で表した。
数秒の沈黙の後、誠二は財布を取り出した。
そしてその財布を運転手の顔の目前まで差し出すと、札入れをゆっくり開いて中に入っていた数十枚の一万円札を見せた。
「…………。」
運転手は予想以上の大金に無言のまま驚くと、視線を前に向け直して車を発進させた。
誠二はこの場でタクシーを乗り換えても良かったが、日々起こり得るその障害に対しての弊害には、いつでも真正面から立ち向かう意志を持っていた。
こんな器の小さな人間から逃げているようでは、誠二はとっくに命を絶っていただろう。
ここまでの誠二の人生が、どれ程苦痛に満ちた時間だったか…。
この中年タクシー運転手の人生百回分より、恐らく誠二は数多くの苦痛を味わっていた。
このたった"15年"という歳月は悲しくも誠二を孤独にしたが、相対してそれに立ち向かう強さをも精神に根付かせたのだ。
しかしそんな誠二の強さは純粋な"許容"という相手への擁護ではなく、"哀れみ"という形の歪んだ強さなのだ。
それはまさしく、青少年に有りがちな"屈折"という表現が相応しいだろう…。