僕らの背骨
これは説明の必要がないが、人間は耳が聞こえなくても声を発する事は可能である。
ただ、発音や声の振動が聴覚に伝わらない事から健常者と同じように語学を話す事が難しいのだ。
しかし日々の練習や周囲の助けがあればその能力を伸ばす事も可能と言われている。
もちろん誠二もその事実を知っていたが、彼自身その能力を欲してはいなかった…。
元来プライドの高い誠二にしたら、たどたどしい言葉を話す自分の姿は劣悪極まりないと考えていたのだ。
それに自分にはそれを補う知能、分析力、瞬時の判断力が備わっていると認識していた。
それが傲慢だと言う人間もいるかもしれないが、誠二にはそれを完全には否定出来ない一つの"魅力"があったのだ。
男性とは思えない美しい顔立ちもさることながら、誠二には言葉では表せない奇妙な魅力がある。
その一つに"障害"という点があり、誠二の全体的な補完の手助けになっていた。
美しいだけの人間はどこか裏を示唆させてしまい、疑い深い人間からは敬遠されがちである。
しかし、誠二の美貌と障害は見事な魅力のバランスを形成しており、女性でなくても惹かれてしまう。
屈折した誠二の人格もまた一つの母性をくすぐり、まだ未完成である誠二という男性を自分が正してあげたいとも思わせるのだ。
もちろん莉奈もその魅力に惹かれた一人だったが、自分の人生を捧げてまで誠二を愛したのは、この世界で莉奈が唯一の人間だった。
だからこそ誠二は莉奈の求愛には拒絶出来ずにいた。
自分が特別な存在だとしたら、莉奈も同じく誠二の対極に存在する一片の人間なのだ。
恋心以上に莉奈を想っていた誠二は、この自身の許されない"嘘"を思い返す度に、胸が張り裂けそうになっていた。
こうしてその名前を初めて呼んだのは、許されぬ罪の緩和を望んでの行為だったのか…、もしくは求愛を望む莉奈に今もその継続を望んでしまっていたせいなのか…。
誠二は自分でもその行為の理由が分からずにいた。
莉奈…。
いつか君にその名前を呼べたら…。
それが何の為なのか、誠二はまた張り裂けそうな心を胸に抱きながら歩を進めた。