僕らの背骨
正樹が思うそんなエリート像も、残念ながらそのレールの先にしか全てを見据える事が出来ず、ただ黙々と漠然たる理想に向かってしまっていた。
しかしそれは、そんな若者達の盲目が諸悪になっている訳ではない。
現世の人間が生まれるずっと前からある、高学歴の優遇という制度が問題なのだ。
限定した職人系であればそれ相応の技術が必要だが、"エリート"になる為には何故か総合的な好成績が必要とされる。
大手商社の敏腕になるのに、"台形の面積の求め方"が必要だろうか…。
もちろん経営学や最低限の一般教養は必要だが、不必要な科目の不出来で落ちこぼれてしまう人材は少なくない。
これは誰でも分かる事だが、各々の組織の在り方で必要なのは、"個別の担当"だ。
人の扱いに長けた人間が管理職に就き、発想の豊かな人間が開発部門に就く。そして誰にでも愛される人格者に接待をさせ、同情を引く顔をした人間に謝罪をさせる。
こんな簡単な事なのに、それを実践している企業は少ない。
もちろん、それが不変となっているのは既存の経営者が入れ代わり立ち代わりで結局隙間なく居座るからであり、大手企業は役員の総入れ替え以外にこの不況を乗り切る術はない…。
これは極論だが"適材適所"とよく言うように、それを確たる経営方針として掲げられる組織があるのなら、それこそが理想と言えるだろう。
無意味にのさばっているだけの老いぼれ経営者に全てを任せ、何かを期待する事など出来る訳がない…。
一つの例として、今は廃れたIT企業の若社長達こそが、日本で唯一その実践に近い事をやってのけたのだろう。
年齢、経験、態度…、そんな不必要な概念には囚われず、スキルのみで企業を構成した過ぎ去りし若社長達…。
彼らこそ…、
日本の未来に光りを与えた。
正樹がM&Aに積極的かどうかは本人にも知る由もなかったが、今はただ単純労働者だけにはなりたくない…、といった現実しか見ていなかった。
地元の少年を横目に蔑みの目を向けると、正樹はそのまま角を曲がって住宅街へと入って行った。
密集したその住宅地では深夜という事もあり、正樹の足音だけが辺りに響き渡っていた。