僕らの背骨
誠二は来た道を歩き出し、大通りでタクシーに乗り込んだ。
直ぐさまメモ帳を取り出し、目的地を書き記した。
−清林学院まで。−
メモを見せられた運転手は一瞬怪訝な表情を見せたが、すぐに愛想良く応対し直し、誠二の障害を気遣った。
バックミラーに自己嫌悪な表情をした運転手の顔が写り、誠二はそれに気付かないフリをした。
瞬時に完璧な対応をする事など、どんな職種の人間でも不可能である。
一々その存在を気にされる事が、身体に障害を持っている人間にとって最も煩わしい事なのだ。
誠二は気に病んだ運転手を心底哀れんだ。
今後出会う酔っ払いや暴力的な客の方がよっぽど面倒なはずなのに、その客への応対時には決してこんな表情を見せる事はないだろう。
自らの表情の抑制がたった一瞬遅れただけなのに、まるで善良な人間をその手で傷つけたような顔をしている。
傷ついたのは"あなた"だ…。
誠二は心の内で何度この台詞を言っただろう。
障害と向き合う上で、選択肢の無い状況下というのは、ある意味では何より開き直れる事柄なのだ。
仮に"障害"その物が着脱可能な整形のような存在だったとしよう。
何らかの理由があり自ら望んでこの障害を備え、その後の生活を続けなければならないのなら、恐らくどんな人間でも三日と耐えられずに元に戻すだろう。
しかし、"取り外す"という選択肢のない障害は、問答無用でただそれを容認するしかない。
"勇気"や"強さ"と言うありきたりな綺麗事は、誠二のような障害者にこそ不必要な言葉である。
選択肢が無い事自体が誠二の"強さ"であり、また"勇気"の源なのだ。
タクシーが"清林学院"の前に留まると、誠二は財布から現金を払い、運転手の顔は一度も見ずにタクシーから降りた。
小綺麗な建物が並ぶその高校は、まるでTVドラマに使われていそうな清楚な雰囲気で、共学とは思えない凛とした空気が辺りを包んでいた。
しかし、中央にある時計台はありきたりなデザインで、決して目を引くような存在ではなかった。
その時計台を中心に囲む両脇の建物はシンプルな三階建てで、時計台との距離間と配置のバランスが絶妙に合間っていた。