僕らの背骨

誠二は下り電車に乗った。

見回した車内には帰宅途中の男子生徒が数人、楽しげに会話をしていた。

誠二は彼らの唇の動きを見て、その内容を聞いた

「いや俺も買ったけど全然使えねぇよ!マジで!」

「正直あれはPCって言うかオモチャだよオモチャ!」

「なんだよ、…やっぱ安すぎるのって全部そうなの?」

その男子生徒達は皆高校生くらいのあどけない顔立ちだったが、15才の誠二より若く見えた。

そして細身で色白なそのルックスは、俗に言うオタク系だった。

彼らはクオリティの低いPCの話しで盛り上がっていて、その後、バージョンアップしたPCの機能性を得意げに話したり、ダウンロードの違法な裏技等で各々の知識の豊富さを競い合っていた。

しかし、年頃の少年少女達にありがちな純粋な恋愛トークは一切議題に出される事はなかった。

その理由として彼らなりの興味の条件は、恐らく"個人の世界"にのみ自由があるという事なのだろう。

彼らの一人は二駅程で下車し、残された"同士"は相変わらず個々の知識を共有しているだけに留まっていた。

だが彼らの知識の共有という概念だけなら、"健康的"な少年少女達がする恋愛トークとさほど違いはない。

"自身で"作り出した環境の違いで、興味の矛先が偏っているだけなのだ。

矛先が数多く枝別れしていれば、健康であり一般的とも言える。

そして極端に太い枝が一方だけを向いていれば、まさしく異質であり"オタク"と認識をされる。

理屈としてスポーツやとある特殊な方向を見据えた枝であったのなら、それは知識であり経験と言葉を変えられる。

しかし、飽くまで"嗜好"の範囲でしか認知されない枝は、いつまでも趣味であり、後に職として展開出来ないのなら、自身で太い枝として捉えるべきではないのだろう。

彼らがその枝を少しでも細くし、新たな枝別れを現実に起こせれば、いつしか"健康的"と呼ばれ、その細い枝を恋愛という嗜好と名付ける事が出来る。

枝は飽くまで個人の興味に留まるはずの存在であり、PCやアニメを幹程の太さで捉えてしまっては、幹という名の生命の"背骨"を著しく折り曲げる事にも成り兼ねない。

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