泣いたら、泣くから。

二章-6



 目の前でばちんと音がして慌てて顔を上げる。
 と、カルテを挟んだボードを片手に構えた院長がわたしを見下ろしていた。


「大丈夫ですか、中澤先生?」


 いつもどおりにこにことした顔で院長は話す。
 反射的に立ち上がって頭を下げた。


「す、すいません。すこしぼーっとしてしまって……」
「夏ばてですかな。ほっほ、先生も年を取りましたのう」
「い、院長……」
「往診の時間ですぞ。気を引き締めてお行きなされ」


 ぽんと額にボードがぶつけられた。
 院長は笑いながら踵を返すと自宅のほうへと消えていった。

 しばしボードを見つめ、きょう何度目かのため息をついた。



 ……一花ちゃん。



 電話の途中で声が途切れて予告なしに断ち切られた夜。
 どうしようもなく気になって、ここ数日、仕事がまるで手に着かない。
 職場に私情を挟んではいけないと思いながらもふとした瞬間に思い出してしまってそこでまた悶々と考えてしまう。
 埒があかない。


 外の空気でも吸えば、すこしは落ち着くことも出来るだろうか。


 
 そうなることを祈りつつわたしは部屋の戸を引いた。



 

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