泣いたら、泣くから。
二章-8
「院長、それは本当ですか!?」
「ほ、本当だとも。どうしたんだねそんなに声を上げて」
午前の病院勤務を終えて戻ってきた院長はいつものにこやかな顔でさらりとすごいことを口にした。
おかげで湯飲みが倒れ、淹れたばかりのお茶が台無しになってしまった。
『病院から帰るとき、入り口で君のお兄さんに会ったよ』
――ガタッ。
なんだって……!?
慌てて机を拭く。同時に白衣を脱ぎ、カバンを脇に挟んで携帯をポケットに入れた。
「どこかに行くのかい、先生?」院長の問いにわたしは顔を上げず頷いた。
「午後からの診療までには戻ってきます。すいません院長」
すると院長はわたしの肩にぽんと手を乗せ言った。
「なにか急ぎの用事があるんだね。そして、それは先生にとってすごく重要なことなんじゃ」
「申し訳ありません……」
勤務中だというのにわたしはまたもや私情を挟み、周りを気にせず目の前のことに突っ走ろうとしている。
こんなこと、許されるはずがない。だが、
だが、わたしは……っ!
――しかし院長はそんなわたしを少しも怒らず、鷹揚に頷いた。「大丈夫ですよ」
「今の先生はとてもいい顔をしています」
「院長……」
「最近の先生は魂が抜けてしまったようでしたからの。まあ、顔色が優れないのは最近にはじまったことではないですが。ほっほ」
わたしは深々と頭を下げた。「恩に着ます」
「うむ、気をつけての」
医院を出る直前、なにか声がして振りかえり――わたしは胸が熱くなった。
院長が握った拳から親指を突き出してわたしを見送ってくれていたのだ。
もう一度深くお辞儀をして、わたしは医院をあとにした。