泣いたら、泣くから。


 わたしの肩から手を離すと兄はこっちだと背を向けた。
 看護士に頭を下げ、私服姿の兄の後ろ姿を追う。

 
 着いていくなか、心臓がこれでもかというほどわたしの中を暴れ回っているのがわかった。
 なにかの警告とも取れる激しい動きにかすかな息苦しさを覚え、自然と歩調が遅くなる。

 そんなわたしを気にせず兄はずんずんと廊下を進んでいった。


 着いてこいと言葉にはしなかったが、そう言っていた兄の顔は笑っていた。
 いつもどおりの兄だった。

 
 ……だが。

 思い出して肩が震えた。




 兄の目は、目だけは、わずかにも笑みを浮かべていなかったのだ――。





 連れてこられたのは病室ではなく、階のもっとも西側に位置する休憩スペースのような開けた場所だった。
 街を一望できるよう壁は一面ガラス張りで、ソファわきのボックスには雑誌が並べられていた。

 もちろん、姪の姿はなかった。いるのはわたしと兄の二人だけ。


 嫌な予感は当たるものだ。
 というより、予想していた通りだった、のほうが正しいか……。
 窓のそばに歩み寄った兄から2メートルほど離れたところでわたしは止まった。

 
 薄々感じていた。
 
 わたしは姪がいる場所ではないどこかへ誘導されていると。

 だからこのまま着いていっても姪はいないのだろうと。


 わかっていた。
 ――それでも、兄の背を追わずにはいられなかった。


 外を見つめていた兄が口を開いた。「――恭介」


「……なんだい」
「おまえ、どうしてここに来た」
「どうしてって、一花ちゃんの見舞いに来ただけだ」
「見舞い。まあ見舞いだろうな」


 なにを言いたいのかわからなかった。
 だからわたしはなにも言わず次の言葉を待った。その時間がひどく長いものに思えてならなかった。


「見舞いに来たのは、叔父としてか」


 わたしは目を見開いた。
 瞬間、周りの音が何一つ聞こえなくなった。


 兄は今、なんと言った…………?




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