泣いたら、泣くから。
義兄さんは、それまで姉貴の担当だった先生に変わって姉貴を看ることになったんだ。
なんでも、その先生が出張に行くというので数日のあいだ臨時にあてられたらしい。
26歳といえば、もう研修生も終わって一人前の医者として駆け出した頃ではなかろうか。
あのころ、叔父はめっぽう忙しく、盆と正月くらいしかまともに会える機会はなかった。
だから私は、そのときの叔父をまったく知らない。
だけど、たぶん、叔父がもっとも輝いていた頃ではないだろうかと勝手に想像する。
もう学生ではなく、先生という頼れる上の者がいるわけでもない、これからは一人の医者なのだからと走り回っていたことだろう。
想像はどんどんふくらんで、油断すれば頬がゆるみそうになる。
叔母は、毎日そんな叔父と会っていたのだろうか。
そう思うと、不謹慎かもしれないが、いくら治療中の身とはいえすこし羨ましいと思った。
「それからどうやって結婚まで行ったのかは知らねぇけど、姉貴は言ってた。恭介さんと一緒にずっと生きていきたいって」
だから、これからは今まで以上に治療を頑張るし、彼のために一所懸命つくすんだと。
真由の言葉はきちんと現実になっていたのを私は知っている。
料理の勉強、庭の手入れ、家の掃除。家の中はいつもすみずみまでぴかぴかで、叔母は叔父のために年中せっせと動いていた。
いつも笑顔を絶やさず働く彼女を見て、心から叔父のことを愛しているんだなとわかった。
と、そこで奏斗の口が止まった。
眉間の深いシワにもだいぶ慣れ、せめて手すりからもう少し離れようといっぽ前に出た。
そのとき、奏斗の顔に暗い影が落ちた。
握りしめた拳がかすかに震えている。
黙って待っていると、しばらくしてようやく奏斗は再開した。しかし顔は下がったままで、私のところから表情はうかがえなかった。