ジェネシス(創世記)
「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい(ヨハネの福音書一二)」

 私たちは、洞穴を離れてインドの西南部に住居を構えた。イゼスと母が、若き日に暮らした町だ。

あの洞穴には、イゼスの言葉を書きとどめた貴重な聖書などの本を、置いてきた。持ち歩くには分量が多すぎる。一番嘆いていたのは、イゼスだったかもしれない。悔やんでも、悔やみきれない。

 イゼスは、セイ派の山奥にあった「契約の箱」を心配していた。ローマ人たちに発見された場合、仲間たちは「石板」と「聖書」だけを持ち出し、箱は破壊すると公言していた。

セイ派のだれかが、無事にそれらを隠してくれることを祈った。箱は、また作ればよい。

 イゼスは、満足に立つことも歩くこともできない。車イスの生活を送っている。「救世主」と名乗らなければ、家族そろってナザレの町で幸せな生活を送っていたことであろう。

「神の子」と言われても父、いやイゼスもただの「人の子」なのだ。人間なのだ。

 インドへ向かう途中、夫婦でひなびた温泉宿の露天風呂に浸かった。バリアフリー(身体不自由者が社会生活する上で、障壁を除去すること)が進んだホテルに、宿泊した。

 イゼスの笑顔を久しぶりに見た。汚れた身体も清められて、スッキリしていた。手足の痛みも多少、良くなったようだ。

温泉の効能なのであろうか、その回復ぶりは奇跡としかいいようがなかった。イゼスと母は、このホテルで「セカンド・ウェディング」の挙式を挙げて喜んでいた。

 イゼスは、「遠い東にある島国」へ行ってみたいと言い出した。夢で見た国だ。けれどもそれは、はかない夢と消えた。

病状が悪化し、イゼスは激痛に耐えながらも、息を引き取った。イゼスの墓地の回りを、沢山の白い伝書バトが飛びまわっている。大勢の信者たちから、弔電(おくやみの電報)が届いたようだ。


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