%コード・イエロー%
『おくやみ
A市 木村 春菜さん 5日、12歳。
若田X-X-X、市斎場。父勲夫さん』
それは、1989年5月7日の地方新聞だ。
文字がにじんで見えて、私は慌てて目頭を拭った。
最初の頃は、一般の新聞から切り抜かれているらしく、
ほとんどが目を凝らさないとわからないほどの小さな記事だ。
私も知っているような内容が、たんたんとつづられてあり、
深い内容はうかがい知れない。
やがて、週刊誌の最初の記事が登場した。
白黒のページだが、センセーショナルな取り扱いをしている。
『牟礼中央記念病院で、12歳の少女が盲腸で死亡。
医療ミスであるとする両親が病院を訴えた。
執刀を担当したのは、K医師。2年前に国家試験をパスした新人で・・』
“K医師”
その記事は、執刀医の名前をイニシャルで記している。
けれど、私にはそれだけでも大きな収穫だった。
そう。私は、姉の執刀医の名前さえ知らないのだ。