准教授 高野先生の結婚
なんだかんだで、婚姻届の証人欄の片方はお父さんに埋めてもらえることになった。
ハンコはシャチハタ以外なら普通の認印でもよかったのに、お父さんは――
「うむ。こういうときこそ実印の出番というものだ」
「あなた、上下逆さにならないように気をつけてちょうだいよ。ほら、実印は――」
「馬鹿を言いなさい。印鑑のことは商売柄よくわかっているから心配ない」
「はいはい、失礼いたしました!っと」
長年にわたり銀行に勤めてきたお父さんとお母さん。
印鑑には一般の人よりも詳しいらしい。
「あ、しーちゃんは知ってる?なんで実印は上下がわかりにくいつくりなのか?」
「え、えーと……なんで、なんですか?」
実印ってのは印鑑の中では特別で、日常的に使うハンコとは別格のもの。
重要な契約などを交わすときに押す“重たいハンコ”というわけだ。
普通の認印には上下がわかる印がついているけれど、実印にはそれがない。
なので、押す前には必然的に今一度“確認する”というワンクッションが入る。
「実印を使うのって重大だから、特に慎重に考えて押さなきゃならないでしょ?」
「それは、そうですよね」
「だからね、わざと上下の確認をさせて一呼吸置かせようという配慮なのよ」
「なるほどー、そういう意図が」
私がお母さんの豆知識を聞いている間に、お父さんは証人欄の記入を終えていた。
「うむ、こんなもんでいいだろうか?」
「おそらく大丈夫だと思うけど。僕も見せて、一応」
いかにも几帳面そうな文字に、くっきり真っすぐ押された印鑑。
そのいかにも整った感じが、お父さんの生真面目な人柄を思わせる。
そして――
婚姻届の用紙に目を落とす二人の男性の横顔。
あぁ、やっぱりお父さんと寛行さんって似ているなぁ、って。
それを再び実感しつつ、こっそり二人の顔を見比べる。
寛行さんが年を重ねたら、きっと今のお父さんみたいな感じになるのかなぁ、なんて。
私はひっそりと心の中でふふふと笑い、一人でほっこりしてしまった。