しずめの遭難日記
「ここが、鍛治…お父様のお生まれになった所なんですね」
「だから来たんでしょうね」 
 当たり前な事を言う女に、私が適切な回答を返してやると、女はしばし沈黙した。
「あの…私、登山は初めてなんですけど…その、しずめちゃんは、もう何度も登った経験があるんですか?」
「そうですね」
 私は窓の外の景色を眺めながら、用もないのに声をかけてくる女にお義理で返事を返していた。
「……あの…………」
「何か用ですか?特別な用でなければ、黙っていて欲しいんですけど?」
 私が、いかにもウットウしそうにそう言うと、女は今にも泣きそうな表情になったが、それでも、私は女に同情する気持ちはこれっぽっちもなかった。
「神楽さん。別に無理に私と話をしようとしなくていいですよ。私は貴方の事を母親だなんて思わないし。そうやって無理に母親のように接しられても迷惑なだけです。所詮、貴方と私とは血の繋がりも何もないわけですから、赤の他人のままでいいんじゃないですか?」
 私の言葉に、女はとうとう目からこぼれ落ちそうな程の涙を溜めていたが、私はそんな女の作り涙などには騙されない。
「しぃずぅ。食事の準備さするで、手伝ってけろぉ」 
 丁度その時、奥の土間で祖母の呼ぶ声がしたので、私は元気に返事をして、土間へと駆け出した。女はしばらくその場所で動かなかったが、私にはどうでもいい事だった。
 その日は、祖母が夏の間にとって冷凍しておいた「たらの芽」の天ぷらと、キノコをふんだんに使った鍋料理が食卓に並んだ。夏場にとって保存して置いた「たらの芽」は、やはり時間が経っているせいか苦みが強かったが、私はこの「たらの芽」の天ぷらが大好きだった。
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