しずめの遭難日記
 私はそう言うと、ずっと気になっていた高い山を指差した。その山は、私達が昨日テントを張った所からも見えていた山だ。というよりも、私達はその山の写真を撮っていたのだ。
 父は、私が指差した山を見上げると、腕組みをして唸る。
 私にはわかっていた。あの高い山は、初めて登山をする人間にはかなり過酷な山だという事を。でも、私はその山を越えるだけの自信があった。女にはかなり辛い登山になるだろうが、それも私の計算の内だ。これで、女が二度と登山なんてしないと言い出せば、私は、また父と二人切りで山に登る事ができる。少なくても、この女を連れて登山へ行くという事はなくなるのだから、それはそれで歓迎すべき事だ。
 私の計略を知ってか知らずか、女もその高い山を見上げ、あの山に登れば、きっと海も見えると断言していた。私は「何で登ったこともない人が断言できるの?」と内心疑問をぶつけたが、それは口には出さないでおいた。私にとって、海が見えるかどうかなどということは、あまり問題ではなかったのだ。そう、本当の所は、この女を困らせてやりたい。ただ、それだけなのだ。勿論、海が見えたら、それ以上に素晴らしい事はないが…。
 父は熱心に嘆願する私と女を交互に見つめながら、困った表情を一層色深いものとしたが、最後には私達の熱意に押される形で、二つ返事で登山の続行を了承した。
「…ただし。今日はもう遅い。あの山の麓ならテントも張れるだろうし、今日はそこでキャンプだ。明日帰れないと食料がなくなるから、二人とも無理そうなら、ちゃんと言うんだぞ?勇気ある退却も、雪山を登る上では大切な事だ。なに、雪山は逃げやしない。今度はこの山を目的に来ればいいだけの事だしな」
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