しずめの遭難日記

母の面影

 ―2月27日―
 父が下山してから二日が経った。今だ父が戻ってくる気配はない。神楽さんの足の具合はかなり良くなったが、吹雪は更に勢いを増していた。
 登山を初めてから一週間が経った。食料もほとんど尽き、火を焚くための燃料も残りわずかだ。私は、そろそろ本気で覚悟しなくてはいけないと思った。
ふと外を見れば、吹雪のせいでどこが地表で、どこが空なのか全く分からなくなっている。いつか父から教わった現象。『ホワイトアウト』だ。
「ねぇ、神楽さん」
 私は、先ほどからリュックの中身を熱心に検品している神楽さんの背中に声をかけた。すると、神楽さんはすぐに笑顔でこちらを振り向くと、嬉しそうに私の側に寄ってくる。私は、こんなに邪険にされてる私に声をかけられて、何故そんな笑顔が作れるのだろうと不思議に思った。
「神楽さんはさ、血も繋がってない赤の他人に『お母さん』って呼ばれるのってどう思う?なんか抵抗ない?」
 私が神楽さんを母とは認めない理由は、ただ単に私の母は『お母さん』唯一人だ。という理由もあったが、それ以外にも、神楽さん自身、他人の子である私に『お母さん』と呼ばれても、なんか滑稽に思うのでは?という風にも思ったからだった。
「そうですねぇ。でも、愛してる人のお子さんでしょ?私は『お母さん』って呼んで欲しいかな」
 私は神楽さんの答えに驚いて、更にそのわけを聞いてみた。
「そうですねぇ…。う~ん、ちょっと難しいけれど、例えば…。例えば、自分の赤ちゃんが何かの間違いで本当の子供と違う人の子供と間違われてしまったとするでしょ?それで、間違った事にずっと気がつかなくて、10年以上、自分の子供として育ててきて、ある日突然、『その子は本当の子供じゃないから、本当の子供と取り替えましょう』なんて言われたら納得できる?私なら、血なんて繋がってなくても、ずっと育ててくれた人がお母さんだし、本当の子供だと思うんです。だから、血の繋がりなんてなくても、愛する子供に『お母さん』って呼ばれたら、とても素敵だと思います」
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