しずめの遭難日記
―8月10日―
 例年通りなら、今日は長野の祖母の家へ行く日だ。祖母の家は、長野は阿南町という所にあり、父も母もその地で生まれたのだという。母方の両親は既に他界していて、長野へは、父の祖母の実家へ挨拶へ行くのだ。
 八月に入ると、阿南町では盛大な盆踊りがとり行われる。それは『新野の盆踊り』と呼ばれ、神送りの行事として全国でも有名らしい。盆踊りと同時期に『和合の念仏踊り』という祭りもあって、私はもっと幼い時に、踊りの拍子を合わせる笛を吹かせてもらったこともあるのだが、今年はそんなお祭りに参加できそうもない。あの女、浦河 神楽がこともあろうに私の家に今月から住む事になったからだ。
 まったく、あの女ときたらケーキだってロクに作れないくせに!あれで私の母親になる?まったくもって不愉快だわ!お母さんはあの女の千倍は上手にケーキを焼けるのに!

 野上は、しずめの書いたこの日記を読んでいく内に、おぼろげながら、その家族構成と、少女が背景に抱えた問題を掴むことが出来た。
 野上が捜索にあたって手渡された資料には、新野家の主、新野 鍛治は38歳。妻、新野 神楽は32歳。そして、長女、新野 しずめは14歳とある。
 14歳と言えば、丁度中学2年生ぐらいだろう。その更に一年前、つまり中学一年頃に母に先立たれ、そして、その一年後、父親が再婚した。多感な少女には、大人の事情など理解できない事であり、しずめ自身も、母の死への悲しみ、再婚する父への憤りがあったに違いない。そして、その矛先は、全て再婚相手の新野 神楽へ向けられたのだろう。
 野上は複雑な家庭環境が記してあるだろうしずめの日記を、これ以上読むべきではないのでは?と一瞬悩んだが、現在行方不明の新野一家を探すにあたってこの日記は必ず何かしらの手がかりになる筈と思い直し、日記の先をはしょりながら読むことにした。
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