飛べないカラスたち
ふわりと涼しげな風が吹き、海色の長い髪が揺れる。
女の顔が、隠れる。髪の隙間から、エメラルドの瞳が、クロウを捉えている。
香る女の髪の香りは、忘れもしない、数年前のあの日も纏わせていた、香水の香り。
「…ぅ、え゛っ…!」
その香りに吐き気が一気に迫り上がり、思わず左手で口元を押さえて、1・2歩後退さり、身体をくの字に曲げる。
胸元に当てた右手の拳銃が、今にも落ちそうだ。
人間の鼻は思った以上に記憶と結び付けられることが多い。
例えば、田んぼの傍を通りがかった時に感じる青草や微かな泥の匂いは子供の頃に雨上がりの原っぱを駆け回った頃を連想させどこか懐かしさを感じるし、他人の家の匂いよりも自分の家の匂いが落ち着くのはその中でずっと生活していたからだろう。
そんな優しい記憶と同時に、車酔いの激しい人間は車の匂いを嗅いだだけで、車酔いをした記憶を思い返し、匂いだけで気分が悪くなる、思い出したくない記憶を思い返すこともある。
今のクロウは後者の、最も触れたくない記憶を、その匂いによっていとも簡単に打ち破られた。
その感覚は、まるで米袋にナイフを思いっきり突き刺した感覚で、中からとめどなく米粒が流れ落ちていく感覚とどこか似ていた。
差し込まれたナイフの痛みが、コメカミの奥に響く。