飛べないカラスたち



クロウから吐き出された胃液はツンと酸っぱく、口内もベタ付いて気持ちが悪い。



「戻したの?アンタは汚い子ね」



女がクロウのそばにしゃがみ込み、その髪を掴んで地面に押し付ける。


ざらついて湿った土が、石がクロウの顔に、頬に、こすり付けられるが、クロウはただ硬く目を閉じて今起こっている現実から必死に逃れようとするしか出来なかった。


突然、髪を掴んだまま頭を持ち上げられる。


視界に、嫌というほど彼女の微笑が、嗅覚に、嫌というほどの彼女の匂いが、滑り込んできて意識が混濁しかける。


アンタ、と主に呼ぶ彼女にクロウは本当の名を殆ど呼ばれたことはなかった。


この名を呼ばれる代わりに掛けられた言葉は罵倒ばかりで、降り注がれたのは愛情でもなんでもない、その場にあったものや、食べ物。


酷い時にはガラスの灰皿まで投げられて額を切ったこともある。


殴られたことなど数え切れず、蹴られたことももう最初の記憶などおぼろげだ。


熱湯を張った風呂釜に顔を押し込まれたこともあった。食事がなかったことなんて殆ど毎日だった。


日々を物音立てずにひっそりと押入れの中で過ごし、その扉が開けられた時こそ、恐怖の時間が始まるのである。


クロウの中で、闇は安全で、光の下は、恐ろしさしかなかった。


クロウは自分の名前が嫌いだった。自分の存在さえ嫌いだった。母親を嫌ったことはなかった。ただ何故だか、わからなかった。



「ねぇ、今アンタは何を思ってるのかしら」



どの声も届かなかった。


ただ、耳鳴りとフラッシュバックが酷かった。


幼い頃の記憶を染め上げた、甲高い女の叫び声と、脳がずれるのではないかと思うほどの激しい衝撃。




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