人魚の涙 ～マーメイ・ドロップ～

彼女は不思議そうに、僕に顔を近付ける。近くで見れば見るほど美しい顔だった。
最期に見るのがこんなに綺麗な人なら、悪くはない………こともないが、今となってはどうしようもない、という気持ちがあった。

彼女の顔は、僕にぐんぐんと近づいてくる。
どこまで近づくのだろう、と僕は思いながら彼女を見つめた。―――五十センチ―――十センチ―――。
少しずつじわじわと、距離を詰めていく。………そして。




彼女の唇が僕の唇にゆっくりと触れた。

………何が起きている？
さっぱり状況が読めない僕は、眼前にある彼女の顔を眺めることしか出来なかった。

肺にゆっくりと息が送られてくる。暖かく、優しい息。それが僕の体へとかけ巡り、力と感覚を取り戻してゆく―――と共に、今自分の身に起きていることを明確に理解する程までに思考も回復し、瞬時に体が熱くなる。




またぐんぐん意識は遠ざかる。それも、先程よりも余程早いスピードで。
彼女は相も変わらず息を吹きこんでいる。
………苦しくないのだろうか？僕は今自分の身に起きていることを頭から掻き消そうと、必死に別のことを考えようとした。




だが、今の僕にはまだ、物事を深く考えこむ程の力はなかった。
いくら息を吹き込まれたからといって、それは一命をとりとめた、というだけの話だった。
元々運動とは遠く離れた星のもとに生まれた僕だ。肺活量など微塵もない。
加えてこの状況。常人であろうがスポーツマンであろうが、気絶しているだろう。




―――瞼が重い。
僕は高揚している自分の体温を確かめた。僕の周りの水だけ沸騰しているのではないか、と思う程熱かった。

僕はもう、これ以上何も考えられなかった。予想以上に僕は憔悴しているらしかった。
僕は朦朧とする意識の中、彼女の柔らかな唇の感触を感じながら、眠るように深い暗闇へと落ちていった………。