【探偵ピート・ジャンセン】
あの指環といい、
野心を見せぬ態度といい、
ひょっとするとあの紳士は
富豪なのかも知れない‥。
此処で親交を深めれば
思わぬ援助を受けられる
かもしれない‥。
淡い期待がトーマスに
横切っていた。
トーマスは幾度か男と
言葉を交わす機会があった。
その後も男は決まって
夜のポーカーテーブルに
現れた。
さほど広くはない船の中で
男と日昼に顔を会わせる
事は一度も無かった。
目的地が近付いて来た日、
トーマスはゲームを途中で
切り上げて、男をディナーに
招待し、そこで家族を
紹介した。
ディナーの席で男は、
ほぼ全く料理に手を
つける事なく、暫しの
会話の後、ターニャに
ダンスの相手を申し込んだ。
『綺麗なお嬢さんだ‥。』
男はターニャの瞳の奥を
覗き込んだ。
見詰める男のその眼の奥には
果てしない闇が広がっていた。
見詰められると同時に
ターニャは激しい目眩を
覚えて行った。
『御免なさい‥。
少し気分が‥。
きっと船酔いですわね。
少し夜風に当たって
来ますわ‥。』
そう言うとターニャは
ふらつきながら甲板へ
向かった。
男もその後を追って
その場から退席した。