シロネコノート改
また、著者はこういう言い方をしては
いないけれども、脳科学的に「右脳」と
「左脳」ということで考えれば、
「思考」というものは左脳を使った表面
的なものであって、右脳を使えば無意識
の方からもっといろいろな情報を取れる
のに、
左脳の思考だけが全部で、それが自分
だと思ってしまってはいけないよ、と
いうことも含んでいると思います。
だから、デカルトが「我思う、ゆえに
我あり」というのは、
「自分は左脳がすべてである」
と言っているのと同じであって、初歩的
に間違っている、右脳の直観力も含めて
自分だととらえよう、ということです
よね。
いないけれども、脳科学的に「右脳」と
「左脳」ということで考えれば、
「思考」というものは左脳を使った表面
的なものであって、右脳を使えば無意識
の方からもっといろいろな情報を取れる
のに、
左脳の思考だけが全部で、それが自分
だと思ってしまってはいけないよ、と
いうことも含んでいると思います。
だから、デカルトが「我思う、ゆえに
我あり」というのは、
「自分は左脳がすべてである」
と言っているのと同じであって、初歩的
に間違っている、右脳の直観力も含めて
自分だととらえよう、ということです
よね。