神様を信じる小さないきもの
だが、この不安は自分の事だけではなく、あのまゆちゃんとの幼少時の思い出に関係していると最近気付いた。
まゆちゃんとの思い出自体は楽しく、温かいものなのだけど、まゆちゃんに関してある事件が子供心に衝撃を与えて、その時に受けたであろう小さな傷跡はまだ微かに残っている。
私はその反復で不安ながらもわずかな度胸を張ってでも、赤ちゃんを産もうとしているのかもしれない。
そう、私は自分で赤ちゃんを産む事によって、過去の辛い思いを乗り越えようとしているのかもしれない。はっきりしない不安を私なりに上記のように解明してみたが、納得しようにもこれくらいしか思い浮かばない。
大人になれば理解力で不安を克服できると思っていたが、まるで出来て無い私は子供の親になる資格があるのだろうか?
…と、今はそこまで考えてしまっていたりする。
本当に子供が欲しくて妊娠したのに、こうやってウジウジしている私はまだ子供なのかもしれない。
最近老け方が激しく進んだ母を見るたび、そう思ってしまう。
だから思い出と向き合う事で私は産む覚悟を決めなくてはならないのだ。
幼い頃の私を越えて母親となるために。
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