赤い筆箱
エピローグ
「虐待」「愛情」「悲しみ」「苦しみ」・・・それらが本当に自分に疑問を問いかけるのは恐らくそれらの経緯から現れている今の自分ではないかと私は考える。
 虐待をされていた・・・その時よりもずっと後に感じるもしくは体が反応を示すそれは人間が学習能力を持っているからだ。
「幼い頃食事を残す事を母親に執拗に叱られて育った人が居た。その人は大人になった今友人と食事に行き食事を残す事が出来ない、残したからといって友人は暴力を振るったり叱責することは無いのに体がそれを恐れて残す事をゆるさない」という話を聞いた事がある。

 私は思う「なぜ?十分苦しんできたのに?今ここで苦しまなくてはいけないの?私がいけないの?」

そんな私が本来の自分に出会う為に、また歩き出す
< 1 / 12 >

この作品をシェア

pagetop