鴉《短》
父の帰りが遅いとき、理由があって少しの時間でも家を空けるとき。
母はよく、泣いていた。
寂しい、と。
幼いころの私には、母のそんな姿がとてつもなく痛々しく見え、朝までその背を抱きしめていたこともあった。
……けれど
年が経つと、泣くだけでは終わらなくなった。
「まさか、あんただけ幸せになろうだなんて思ってるんじゃないでしょうね!そんなこと許されるわけがないよ!アンタは汚いの、醜いの、生きている価値が無いの!!」
横たわる私の腹に、母の蹴りが入る。
ぐ、と思わず声が漏れて、体が縮こまる。
しまった、と思った。
苦痛に歪んだ顔や声は、母の怒りを増幅させるのだ。
しかし、もう、遅かった。
腕を掴まれて無理矢理立ち上がらせられ、髪の毛をわしづかみされる。
息がかかるほど近くに、母の顔があった。
「何?その目、その声!逆らってんの?あたしが悪いとでも思ってんの?恨んでんの?被害者ぶってんじゃないわよ!誰がアンタの面倒みてやってると思ってんのよ!!」
壁に、頭をぶつけられる。
ぐらぐらと視界が揺れて、再び吐き気が襲う。
……もう、死にたかった。
このまま死んだら楽だと思った。
止めてくれ、と思った。
「あの女も、全部嫌いよ!!」
……何の根拠もなく父の浮気を疑い、父の周りにいる女に対して生まれる嫉妬を
怒りの矛先を
私に、向けるのは。