―ユージェニクス―
しかし流石にスラムを統括するという巨大な名目は達成出来ずにいた黒川。
スラムの人間は個人主義が多かったし、纏めるのも面倒だと思い始めた黒川は、出来ない事をダラダラと模索する人間ではない。

スラム統括の目標はさっさと捨て、裏に広がった手回しも有り、スラムの豪遊家としての日々を送っていた…












一人の小男が豪勢な屋敷の廊下を歩いている。
黒川直属の精鋭の証である黒スーツを着ていたが、あまりボディーガードの役割を担っているようには思えないその男。
黒光りにねっとりと固めた頭髪は、秘書でも気取っているのか、と思わせるものだ。

廊下にゆっくりと革靴の音を立てて行き着いた先は、あの黒川の居る部屋。

部屋の前に来ると怪しい限りにぴったり扉に身をくっつけ、聞き耳を立てた。

しばし間。

「………」

何も音が聞こえないのを確認すると、軽く扉を叩く。


「…蓋尻か?」

扉のせいでくぐもっているが黒川の声だ。
蓋尻(ぶたじり)と呼ばれた小男は慣れた様に肯定した。

「黒川様、朝ご確認されたお時間になりましたが、如何なさいますかねぇ?」

蓋尻の口調も頭髪と同じくねっとりしている。

…この小男こそ、あの日あの場所で三人を連れ去った人物だ。


「……どうなさいます?」

黒川の返事が無かったので蓋尻はもう一度聞き返す。

「…仕方ない、私は少し遅れていく…蓋尻、先に進めておきなさい」

けだるい声色が部屋から出る事を渋っているのが蓋尻には理解出来た。

蓋尻はニィ と口の端を上げると、承知して部屋の前から身を引く。


「…黒川様にも困ったものだ。いつまであの小娘に御執心なんだか」

独り言。

実際娘一人が黒川のお気に入りだとて何か問題があるわけではない。

しかし…

「ワタシが構われなくなるじゃないか」


黒川に忠誠を誓う誰もが多かれ少なかれそう思っていた。

黒川が茉梨亜という娘を構えば構う程自分が放置される…

小さき嫉妬。


だがそんなもので誰も黒川を咎めたりはしない。



「……」


蓋尻が辿り着いたのは簡素な一つの部屋だった。

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