―ユージェニクス―
つかつかとヒールを鳴らして歩く。
いつもの道を迷う事なく、棗は受け持ちの診療所に辿り着いた。
手には自分の鞄と、相変わらずの差し入れ。
「入るわよー!」
扉を開けると慣れた薬品の匂いが鼻につく。
診療所の主からの応対は無い。
という事はいつもと同じく、レポートに缶詰状態なのだろうか。
「また無理してんじゃないでしょうね……」
整った眉を顰め黒髪を掻き上げる。
先日の黒川邸での一件で管原が関わった話は棗も聞いていた。
それでなくても研究所の仕事を人より背負っているのに、また妙な事に首を突っ込んで……
「弾って自分の事二の次なんだから…まったく」
こちらが心配するとはぐらかす。
いつも飄々とした管原を見ていると腹が立った。
……無理しないで、たまには頼ってくれてもいいのに。
「なーんて、どうせ相手にされないんだけど」
一人ごちて、専用のスリッパに履き変えるのももう慣れた行動。
実際そこまでしなくてもいい訪問だ。
ただ研究員がきちんと診療所の仕事をしているか、チェックするだけでいい。
だがそれでも彼女は、ろくな食事を取らない研究員の為に足しげく通っている。
それはずるい事と共に、ただそれだけしかしてあげられない事で……
「あ…弾……?」
診療所の主は自分の事務机に突っ伏して眠っていた。
「ちょ、ちょっと…こんなとこで寝るなら横になればいいのに……」
微かに戸惑って、棗はベッドから適当なタオルケットを持ってくる。
……寝ているなんて、珍しい。
机には書きかけの書類が残っていた。
完成出来ない程疲れきっていたのか……
「…やっぱり無理して」
起こさない様にタオルを掛けて呟く。
「……」
……初めはただの変な研究員だと思っていた。
おかしな人。
女好きだと思ったらそうでもない。
馬鹿ばかりしていると思えば意外と仕事も出来て。
デリカシーもない奴だと思っていた、けど。
「私も間抜けね…絶対無理な奴なのに」