ブラックコーヒー
prologue

香川 伊吹

珈琲の香りが好きだ。

お湯を注いだ瞬間の立ち上る珈琲の香りだ。



このカフェで働き始めて一年になる。

有名なバリスタがいると聞いて直接店に行き、味を確かめてから頭を下げて頼み込んで雇ってもらった。


珈琲に口をつけて、お客さんに出せない割れたクッキーをかじる。






テツが私の人生から姿を消して10年経つ。


あの時私はテツがすべてだった。


あの日私に何を見せようとしたのか。



あの日くれた鍵の鍵穴はまだ見つかっていない。
何を開ければ良かったのかもわからない。



市立図書館。


私達はよく図書館で暗号のやりとりをした。

伝えたい気持ちは本の間に挟んで隠し合った。

テツはアナログなものが好きだった。

スポーツには興味を示さず本ばかり読んでいた。
制服のポケットにはアンティークな銀の懐中時計を入れていた。


今は私のポケットの中で時を刻んでいる。


カップに注いだ珈琲に口をつけ、時計を見る。








私は戻るはずのない時間を待ち続けている――。
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