夢みる蝶は遊飛する
父の実家、長谷川家は、長谷川グループとしていくつか会社を経営しており、長男である父はその後継ぎとして大切に育てられた。
名門の皇ヶ丘学園に幼稚舎から通い、いわゆるエリートコースというものが約束されていた。
しかし初等部中学年になった頃、父は“あるもの”に興味を示すようになった。
それが、バスケだった。
「ボールにじゃれついて走り回るような粗野で乱暴な人間になってほしくない、と渋る両親を説得して、兄さんはバスケを始めた。それがなかなか上手くてね、五歳下の幼いわたしにはとても格好よく見えたものだった」
その頃を思い出しているのだろう、叔父はどこか遠くを見て懐かしそうな顔をしていた。
日に日にバスケにのめり込んでいく父。
ボール遊びなんかに夢中になって、と父の両親は何度も叱ったという。
しかし父の努力と熱意は実を結び、めきめきと上達していった。
中等部でももちろんバスケ部に入部。
U‐15(十五歳以下)トップエンデバーと呼ばれる、全国で30人の強化選手に選ばれるなど、周りにもその実力は認められていた。