夢みる蝶は遊飛する
「酷い父親でいたかったらしいわ、彼は。そうしたらいつかあなたが幸せを掴んだとき、あっさり忘れてもらえるだろうからって。
でも、死期が近づくにつれ、考えが変わっていった。彼は頑固で真面目だから、それでも抗おうとしたの。だけどやっぱり、最期にあなたに会いたかったみたい。
たったひとりの、大切な娘だから」
間に合ったようで、少しだけ間に合わなかったけれど、と彼女は付け足した。
たしかに私に夏希さんから連絡があった時すでに父の意識は無く、父の口からは謝罪の言葉は聞けなかった。
けれどそんなものは、いらなかった。
だからちょうど良かったのかもしれない。
私にとっては、父が私のことを忘れずにいてくれたという事実だけで十分だった。
「私もあなたに謝らなきゃいけない。きっと私たちは、相容れない関係だから。私が、私の存在があなたのご両親を引き裂いたと考えられてもおかしくないから。
私たちの間には、最初から愛があったわけじゃなかった。どちらかといえば、友情に近いものだったわ。先にその関係を壊したのは私なの。だから彼は、私の気持ちを受け入れるのにずいぶん躊躇っていた。
ただ私は、独りで闘って、独りで生きていこうとする彼を、黙って見ていることができなかった。婚姻届に判を捺したのだって、私が強引にさせたと思ってもらってかまわないわ」
涙を必死にこらえて言う夏希さんが、痛々しかった。
けれど、神々しくもあった。
どうしてそんなに美しく涙を流せるのだろう。
私の心の中は荒れ果てた砂漠のようで、少しも潤ってなどいない。
だから涙など流すことはできないのに。