夢みる蝶は遊飛する
いつからそこにいたのか、私にはわからない。
どうしてそこにいたのかも。
わかっているのは、私は両親に虐待されていたわけではないということ。
そして、捨てられた子ども、いわゆる棄児ではないということだけだった。
面会に来てくれていた両親の様子を思い返してみても、やはり私を捨てたのだとは考えがたかった。
けれど、捨てられたわけではなくとも、きっと似たような理由なのだろう。
でなければいつまでも隠しているわけがない。
一緒に暮らしていなかったということは、必要とされていなかったということと同じだ。
私はきっと生まれたときから、存在する価値のない人間だったのだと、思わざるを得なかった。
私のいた児童養護施設はたぶん、そこまで環境の悪い場所ではなかった。
施設内でのいじめも、虐待や不適切な待遇もなかった。
それでも、施設での暮らしで、楽しかったことを思い出すことはできない。
幼少の頃から、私の幸せのそばにはいつも、両親がいたのだから。
けれど、両親の幸せの傍らに、いつも私の存在があったのかどうかは、私には知るすべがない。