夢みる蝶は遊飛する
「あたし取ってくるから、ちょっと待っててね」
奈々は彼にそう告げると、クラブハウス棟の部室まで走って行った。
その背中を見送りながら、私はやけに速く動く心臓を、どうにかして落ち着かせようとしていた。
そうだ、私の名字はもう、長谷川ではない。
私は高橋、高橋亜美なのだ。
この姓を名乗りはじめてまだ数ヶ月。
十数年を長谷川という名字で過ごしてきた私は、いまだに記名の際にその名を書きそうになる。
長谷川なんて珍しくない名字の人物は、どこにでもいる。
バスケ部のマネージャーになって、長谷川奈々という名の後輩がいたからといって、驚くことではない。
そんなことは、わかっているのに。
どうして動悸が治まらないのだろう。
私の知らないところで、私に関するなにかが動いているような気がして。
胸騒ぎがした。