短編オムニバス「平和への言葉」
第一話 『ボタン』
彼は、右手を延ばしたまま、もう何十分もその姿勢で固まっていた。

右手の人差し指は、小さな赤いボタンに触れようとしている。

彼は、そのボタンを押すか押すまいか、その葛藤を続け、動けなくなっていたのだ。

カチャ

ドアが開く音にビクッとし、手を引っ込める。

後ろを振り返ると、秘書がコーヒーを持って立っていた。

「…ありがとう」

彼はそう言うと、秘書からコーヒーを受け取り、一口飲んだ。

気分が落ち着いてきた。

さっきまでの高揚した気分のままでは、彼はいずれボタンを押していただろう。

簡単に決められることでもないのに、人は感情で生きているのだと、妙に実感した。

彼は立ち上がると、秘書に

「今日はもう帰る。明日は朝一番でここに来るからよろしく頼む」

そう告げて、上着を羽織り、部屋を出た。



< 1 / 41 >

この作品をシェア

pagetop