今よりもっと強くなれ!!~我が子が障害を持って生まれたら…~
あれから、2ヶ月が経って市役所から療育手帳が厚生省から届いたので福祉課まで取りに来て下さい…と通知が届いた。
早速、療育手帳を市役所の福祉課に取りに行った。
福祉課でまた色々な種類にサインをして手帳を貰った。
緑色の1ページしか無い薄い療育手帳。
中を開くと『マルA』《超重度知的障害児》
と、記載されていた。その横に涼也の顔写真が貼ってある。
遂に、国に認められたんだなぁ…。
そう思っただけで涙が出る訳でもなく気持ちが沈む訳でもなく意外に普通で平常心だった。
私が強くなったのか?
もしくはもう覚悟が出来上がっていたからか?
あの時、何故……平常心だったのかは今でも分からない。
だけど、1ページしか無い療育手帳を私はその日、穴があくほど見ていた。
この時、平成18年9月末。
丁度この頃から、ぺんちゃんと私達の地元の広島へ帰るか?…って言う話が出始めていた。
理由は、来春からチョッ君は小学生。
涼也も普通ならば幼稚園の年中。
地元に戻って、子供達の為に学校や涼也が行き始めたら学園だって変えたくないのと、結婚して私達は地元で生活をしていない。
来春で関東に来て7年。ずっと、夫婦で頑張って来た。
だから、ちょうど良い機会だし……と言うのが理由。
幸い、ぺんちゃんの会社には広島営業所もある。
私達は、真剣に考えた日々が続いた。