君が好き
「こちらはね。警察の方よ」
看護婦が紹介すると、中年の男性は腰を上げ、手帳を開いた。
「中西警察署の菅です」
菅は坊主頭であごひげを生やしていた。細い目の奥では温かい光を灯していた。
「そして、こちらが部下の井本です」
菅が顔を向けると井本はため息交じりで頭を下げた。井本は細身で眼鏡をかけていた。一見はビジネスマン風で、少し冷たい雰囲気だった。
「さっきの話」
涙も拭わずに碧は小声でつぶやいた。
「ん?」
「さっきの、帰る家がないってどういうこと?」
呼吸器越しで聞き取りづらかったが、その場にいる全員が意味を理解できた。
「大丈夫。気にしなくていい。それより君は身体を良くすることを考えて」
菅が言うと、看護婦も大きくうなずいた。
 碧は井本の顔を見つめた。井本の碧を見る目は生き物を見るものではなかった。物を見るような、冷たい目だった。
「家が無いって……」
繰り返し尋ねる碧に対して、口を開いたのは井本だった。
「君はね、碧くん。里子に出されたんだ。それでね、お母さん失踪中なの」
その言葉を聞き、碧の中で糸が切れるような音がした。
軽い調子で答える井本の頬を菅の平手が飛んだ。
「いい加減にしろ。何だ、その言い方は」
菅は井本の胸倉を掴むと、部屋の外へと連れ出した。
 碧の瞳から涙が出ることはなかった。怒りもなく、悲しみもなく、空虚感だけが満ちていた。
「大丈夫よ。今、警察がお母さんを捜してくれているから」
いくら慰めの言葉を聞いても、碧の心には響かなかった。
 碧は自分が空気に溶け込むような感覚を持ちながら、眠りについた。
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