君が好き
 数日後、車椅子での移動ができるようになると、碧は一般病棟に移った。まだ、大人数と接するのは抵抗があるだろという病院側の配慮から、個室が与えられた。
 個室は一階で日当たりも良く、窓が全開にできた。しかし、何か物足りない顔をしていた。病室が変わってから碧は美雨の歌を聴くことがなかった。
 碧の事件は突発性自殺未遂として片付けられた。
 事件が終わっても菅は見舞いを続けた。碧の母親の捜索状況を伝えるためという理由もあったが、碧のことを放っておけない様子だった。
 いつものように仕事が終わると管は碧の見舞いに訪れた。
 最初に母親が見つからないことを詫びると、世間話を碧に聞かせた。碧は返事をするわけでもなく、ただ黙って話を聞いていた。
 陽が傾くころ、管は窓の外を見つめた。
 空が赤く染まるのを、管は哀しい目をしてうつむいた。
「……実はね。私は幼いころ父親に捨てられたんだ」
寂しそうな横顔で、管はポツリつぶやいた。
管の言葉と同時に碧は目を丸くした。
「驚いたかい?」
「え、ええ」
管は優しく微笑んでいた。
「母は私を産んだときに亡くなった。体が弱い人だったらしくてね。それから父は一生懸命、私を育ててくれたんだがね。会社をクビになって、酒を飲む癖ができてしまった。良くある話さ」
菅は笑ってみせたが、その瞳の奥に哀しさが見えた。碧はいつの間にかその話を聞き入っていた。
「酒癖が悪い父でね。私が中学二年の時、あの日も夕焼けが綺麗だった。酒に酔った父は私を車に乗せて山奥に連れて行ったんだ。正直、ここで殺されると覚悟したよ。案の定、手には包丁を持っていた。 ……でも、父は私を殺さなかった。酒が入るたびに『お前さえいなければ……』って言われていたのにね」
菅の瞳は潤んでいた。しわの入った目は深みを感じた。
「父はそのまま私を山に置いて去って行った。 ……そして、帰り道で事故を起こして亡くなった。私は警察に保護されてね。施設で育ったんだ」
「なぜ、お父さんはあなたを殺さなかったのでしょう?」
「わからない。殺されずとも捨てられたのは確かだからね。それでも父は私を愛していた。 ……私はそう信じている」
話を聞いた碧にはピンとこなかった。しかし、瞬間だが数少ない自分の母親の笑った顔が思い浮かんだ。
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